ベルの定理が問いかける「実在」の姿:量子論と局所的実在論の哲学
宇宙の根本的な問い:私たちが「実在」と呼ぶもの
私たちの日常において、「実在」とは疑う余地のないものです。目の前にある机、手元のスマートフォン、そして私たち自身の存在。これらは、たとえ誰も見ていなくても、そこに独立して存在していると信じられています。この直感は、古くから哲学や科学の根底にありました。世界は私たちの意識とは関係なく、客観的な法則に従って存在しているという考え方、これを「実在論」と呼びます。
しかし、20世紀に登場した量子力学は、この古典的な「実在」の概念に大きな揺さぶりをかけました。ミクロな素粒子の世界では、粒子が同時に複数の場所に存在し得る「重ね合わせ」や、互いに離れた粒子が瞬時に影響し合う「量子のもつれ(エンタングルメント)」といった、私たちの直感に反する現象が次々と明らかになったのです。これらの現象は、私たちが当たり前と考えてきた「実在」のあり方を根底から問い直すものでした。
その中でも特に、私たちの世界観に決定的な挑戦を突きつけたのが、物理学者ジョン・スチュワート・ベルが提唱した「ベルの定理」です。この定理は、量子論が示唆する奇妙な現象の背後に、より深い哲学的含意があることを明らかにしました。
「局所的実在論」とは何か? 古典的な世界の常識
ベルの定理の核心を理解するためには、まず、私たちが自然と受け入れている「局所的実在論」という考え方を明確にする必要があります。これは主に二つの要素から成り立っています。
- 実在性(リアリズム): 私たちの観測や意識とは独立に、客観的な物理的性質が存在するという考え方です。例えば、リンゴは、誰も見ていなくても赤く、丸いという性質を持っていると考えることです。
- 局所性(ローカリティ): 情報や物理的な影響が伝わる速度には限界があり、具体的には光速を超えることはできないという考え方です。遠く離れた場所で起こった出来事が、瞬時に私たちに影響を与えることはない、という私たちの直感的な理解に基づいています。
これらの二つの要素を組み合わせた「局所的実在論」は、アイザック・ニュートンの古典物理学からアインシュタインの相対性理論に至るまで、長らく物理学の基盤をなしてきました。もし物理的な対象が客観的な性質を持ち、その情報伝達が光速を超えないのであれば、宇宙は予測可能で秩序だったものとして理解できます。
量子論の「不完全さ」を補う試み:隠れた変数理論
量子力学は、粒子の位置や運動量といった物理量を同時に正確に知ることができないという「不確定性原理」や、測定するまで粒子の状態が確定しない「重ね合わせ」の概念を含んでいました。これらの確率的な記述に対し、アインシュタインをはじめとする一部の科学者は、量子論はまだ不完全な理論であり、その背後には私たちがまだ知らない、より根本的な物理量、すなわち「隠れた変数」が存在すると考えました。
この「隠れた変数理論」は、もし隠れた変数が存在すれば、量子力学の確率的な振る舞いは、より深いレベルでは決定論的であり、客観的な物理的実在が保たれるはずだと主張しました。例えるなら、サイコロを振って出る目が確率的であるのは、私たちがサイコロの初期位置や振り方に関する情報を十分に持っていないだけで、もしそれらを知っていれば、出る目を完全に予測できる、と考えるようなものです。アインシュタインは、この隠れた変数理論によって、光速を超えた非局所的な影響を必要としない「局所的実在論」を量子論の中でも維持できると期待していました。
ベルの定理:局所的実在論への数学的挑戦
ジョン・スチュワート・ベルは、1964年に発表した論文で、この隠れた変数理論、特に「局所的」な隠れた変数理論が、量子力学の予測と両立し得ないことを数学的に示しました。これが「ベルの定理」です。
ベルは、もし局所的実在論が正しければ、特定の実験結果の間に「ベルの不等式」と呼ばれる数学的な制約が必ず成立することを導き出しました。この不等式は、二つのもつれた粒子(エンタングルした粒子)を別々の場所で測定した際に得られる相関の強さに、ある上限を設けるものです。
イメージとしては、二つの箱にそれぞれ色と形の異なるボールが入っているとします。箱の中身は隠されており、片方の箱を開けて「赤い丸」が見つかったとします。もしこれが古典的な「局所的実在」の世界であれば、もう片方の箱を開けたときに見つかるボールの種類(例えば「青い四角」)には、ある程度の確率的な予測ができます。ベルの不等式は、このような古典的な仮定の下での相関の限界値を示すものだと捉えられます。
実験が明かした驚くべき真実:ベルの不等式の破れ
ベルの定理は純粋に理論的なものでしたが、その後、その検証を目的とした数々の実験が行われました。特に有名なのは、1980年代にアラン・アスペらのグループが行った実験です。彼らは、もつれた光子(光の粒子)を離れた場所で測定し、その結果の相関を調べました。
その結果は驚くべきものでした。実験結果は、ベルの不等式が予測する上限を明確に超えていたのです。これは、古典的な「局所的実在論」の仮定、つまり測定される物理的性質が客観的に存在し、情報伝達が光速を超えないという前提が、少なくともミクロな量子世界では成り立たないことを示していました。
簡単に言えば、量子力学の予測は正しく、そしてその予測は、局所的実在論とは矛盾するということです。
ベルの定理が示唆する根源的な問い
ベルの定理と実験結果は、私たちに二つの可能性、あるいはその両方を受け入れるよう迫ります。
- 実在性の否定: 粒子が測定されるまで、その物理的性質が客観的に存在しない、という考え方です。私たちが観測するまで、リンゴは「赤くて丸い」という性質を持たず、観測によって初めてその性質が確定する、というようなものです。これは、観測者が実在の形成に本質的な役割を果たすことを示唆します。
- 非局所性の受け入れ: 離れた場所にあるもつれた粒子が、瞬時に互いに影響し合う、という考え方です。光速を超えて情報や影響が伝わることを意味し、これはアインシュタインの相対性理論が提示する宇宙の速度限界に挑戦します。
どちらの解釈も、私たちの日常的な感覚とは大きくかけ離れています。ベルの定理は、「局所的実在論」という、かつての物理学の当たり前の前提が、量子論の世界では成り立たないことを決定的に示したのです。
「実在」の新たな解釈と哲学的な挑戦
ベルの定理は、古典的な「実在論」を放棄するか、あるいは「局所性」を放棄するかの選択を迫るものですが、この問いに対する答えは一つではありません。様々な解釈が提唱され、それぞれが「実在」のあり方について異なる哲学的な視点を提供しています。
- コペンハーゲン解釈: この解釈では、物理的性質は測定によって初めて確定すると考えます。つまり、測定以前には客観的な実在は確定しておらず、観測行為そのものが実在を「作り出す」という側面を持つと解釈されます。これは実在性の側面を放棄する立場に近いと言えるでしょう。
- 多世界解釈: 測定が行われるたびに、宇宙がすべての可能な結果に対応する複数の並行世界に分岐するという考え方です。それぞれの世界で異なる結果が実在するため、測定のたびに「実在」が確定するというよりは、すべての可能性が常に「実在」していると捉えられます。
- ボーム解釈(非局所的な隠れた変数理論): デヴィッド・ボームが提唱したこの解釈は、アインシュタインが求めた隠れた変数を導入しますが、その変数が「非局所的」に作用することを許容します。つまり、離れた粒子間でも瞬時に情報が伝達されることを前提とすることで、粒子が常に明確な位置や運動量を持っているという実在性を維持します。これは、局所性を放棄し、非局所性を積極的に受け入れる立場です。
これらの解釈はそれぞれ、ベルの定理が突きつけた問いに対して異なる答えを出しており、物理学と哲学の間の深い対話を促しています。
著名な科学者たちの視点
- アルベルト・アインシュタイン: 量子論の非局所的な側面を「不気味な遠隔作用(spooky action at a distance)」と呼び、最後まで局所的実在論の回復を望んでいました。「神はサイコロを振らない」という言葉は、量子論の確率的な性質と、その背後にある決定論的な実在を信じる彼の姿勢を象徴しています。
- ジョン・スチュワート・ベル: 自身の定理が古典的な実在観に与える影響を深く理解していました。彼は、量子論が必然的に非局所的であること、あるいは客観的実在が幻想であることを示唆することに驚きを覚えたと述べています。彼の仕事は、単なる物理学の理論を超えて、哲学的な議論に火をつけるものでした。
- アラン・アスペ: ベルの不等式を実験的に検証し、それが破れることを実証した功績により、ノーベル物理学賞を受賞しました。彼の実験は、ベルの定理が単なる思考実験ではなく、現実の宇宙が私たちの古典的な直感とは異なる振る舞いをすることを示す決定的な証拠となりました。
まとめ:私たちが世界をどう捉えるべきか
ベルの定理は、私たちの宇宙が、私たちが直感的に信じてきた「局所的実在論」の世界ではない可能性を強く示唆しています。そこには、観測者の意識が実在に影響を与えるような奇妙な結びつきがあるのかもしれません。あるいは、光速を超えた瞬時の「つながり」が、宇宙の根源的な性質として存在しているのかもしれません。
この定理は、単に量子力学の技術的な問題を超え、私たちが「現実」や「存在」について抱く根源的な問いに深く関わっています。ベルの定理は、科学が私たちの世界観にどれほどの変革をもたらし得るかを示す象徴的な例であり、物理学と哲学が交錯する探求のフロンティアを今もなお広げ続けています。現代の私たちは、この量子の世界が提示する新たな「実在」の姿を、どのように受け入れ、理解していくべきか、その問いに立ち向かう時代に生きているのです。