非局所性の哲学

ベルの不等式の破れが突きつける現実:量子論的実在と非局所性の実験的確証

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私たちの「現実」はどこまで確定しているのか?

私たちが日常で経験する世界は、きわめて直感的で理解しやすいものです。目の前にあるコップは、私が見ていなくてもそこに存在し、その色や形は観測とは無関係に確定しています。また、ある場所で起こった出来事が、光の速度を超えて瞬時に遠く離れた場所に影響を及ぼすことはないと、私たちは当然のように考えています。これらの「常識」は、私たちの世界観の根幹をなす「実在論」と「局所性」という哲学的な前提に支えられています。

しかし、量子力学の世界に足を踏み入れると、これらの前提は揺らぎ始めます。特に、ジョン・スチュワート・ベルが提唱した「ベルの不等式」とその後の実験的検証は、私たちが信じてきた現実のあり方に、根源的な問いを投げかけました。この問いは、単なる物理学の理論的な話に留まらず、宇宙そのものの本質や、私たちが何を「現実」と呼ぶのかという哲学的な議論へと深くつながっています。

古典的世界観の二つの柱:局所性と実在論

量子論が突きつけた問いの核心を理解するためには、まず、私たちが前提としている古典的な世界観がどのようなものかを確認することが重要です。

一つ目は、「局所性(Localism)」です。これは、ある場所で起こった出来事が、その周囲の空間に影響を及ぼし、その影響が光速を超えて瞬時に遠くへ伝わることはない、という考え方です。たとえば、東京で起こった地震が、瞬時にニューヨークの建物を揺るがすことはなく、地震波が伝わるには時間がかかります。私たちの物理法則は、すべてこの局所性の原理に基づいています。

二つ目は、「実在論(Realism)」です。これは、私たちが観測する以前から、物体の物理的な性質(位置、運動量、色など)が確定した形で存在している、という考え方です。例えば、箱の中に赤いボールが入っているとします。箱を開けて「赤い」と観測する前から、そのボールは「赤い」という性質を持っていると考えるのが実在論です。私たちが観測することは、すでに存在する性質を確認する行為に過ぎないと捉えられます。

これら二つの前提は、私たちの思考様式や科学的な探求の基盤を形成してきました。しかし、量子論は、この堅固な土台に亀裂を入れるような現象を示唆しました。

量子エンタングルメント:遠隔に「もつれ合う」不思議な関係

量子論が提示する最も奇妙な現象の一つが、「量子エンタングルメント」、日本語では「量子のもつれ」と訳されます。これは、二つ以上の量子粒子が、たとえどれほど遠く離れていても、互いに「もつれ合った」状態になるという現象です。

この状態にある二つの粒子は、あたかも一つの運命共同体のように振る舞います。例えば、ある特定の性質(例えば、スピンという量子の自転のような性質)に関して、ペアになった二つの粒子がエンタングルメント状態にあるとします。片方の粒子のスピンを観測し、「上向き」であったと判明した場合、もう一方の粒子は、どれほど遠く離れていても、その瞬間に「下向き」であることが確定します。これはまるで、片方の手袋を見たら、もう片方の手袋の種類が瞬時にわかるようなイメージです。

アインシュタインはこの現象を「不気味な遠隔作用(spooky action at a distance)」と呼び、局所性の原則に反するとして、量子論が未完成である証拠だと考えました。彼やその支持者たちは、もしかしたら、粒子たちが最初からお互いのスピンを決定する「隠れた変数」を持っていて、それが観測結果を決定しているのではないか、と推測しました。これは、実在論と局所性を守ろうとする試みでした。

ベルの不等式:古典的世界観の限界を数値化する試み

ここに登場するのが、物理学者ジョン・スチュワート・ベルです。彼は1964年、局所性と実在論という二つの前提がもし正しいならば、量子エンタングルメント状態にある粒子の観測結果には、ある特定の統計的な制約が存在することを、数学的に導き出しました。これが「ベルの不等式」です。

ベルの不等式は、直感的には次のようなことを示しています。もし、私たちが観測する前に粒子の性質がすでに決まっていて(実在論)、かつ、片方の観測が瞬時に遠方のもう片方に影響を与えない(局所性)のであれば、二つの粒子間の相関の強さには上限があるはずだ、というものです。この上限は、特定の観測設定における測定結果の統計的な平均値の組み合わせで表現されます。

もし量子エンタングルメントが本当に「隠れた変数」によって説明される(つまり、局所的実在論が正しい)のであれば、その観測結果は必ずベルの不等式を満たすはずでした。しかし、もし量子論が主張するように、観測によって初めて粒子の性質が確定し、かつ非局所的な相関が存在するのであれば、ベルの不等式は破られるはずです。

実験の衝撃:ベルの不等式の「破れ」

ベルの理論的な洞察は、実験によってその真価が問われることになりました。1980年代初頭、フランスの物理学者アラン・アスペは、エンタングルした光子(光の粒子)を用いて、ベルの不等式を検証する画期的な実験を行いました。この実験では、離れた場所にいる二つの検出器で光子の性質を測定し、その相関を調べました。

その結果は、世界中の科学者に衝撃を与えました。アスペの実験をはじめ、その後の精度を高めた多くの実験(例えば、アスペの後のジョン・クローザー、アントン・ツァイリンガーらの実験)は、ベルの不等式が破れていることを明確に示しました。

ベルの不等式が破れたということは、先に述べた古典的な世界観の二つの前提、すなわち「局所性」と「実在論」の少なくともどちらか一方、あるいはその両方が、私たちの宇宙では成り立たない、ということを意味します。これは、アインシュタインが懐疑的であった「不気味な遠隔作用」が、ある意味で「現実」であることを示唆しているのです。

非局所性と実在論の哲学的再考

ベルの不等式の破れは、単なる物理学的な観測結果に留まらず、私たちの宇宙観や存在論に深く影響を与える哲学的意味合いを持っています。

まず、「非局所性」についてです。もし局所性が破れるとすれば、空間的に離れた場所にあるものが、瞬時に、あるいは光速を超えて互いに影響を及ぼし合っているかのように見える現象を、私たちはどのように理解すれば良いのでしょうか。これは、情報が光速を超えて伝達されることを意味するわけではありません。もしそうであれば、超光速通信が可能になり、因果律(原因が結果に先行するという法則)が破綻してしまいます。ベルの不等式の破れが示唆するのは、むしろ、宇宙の根源的な構造が、私たちの想像以上に「一体的」である可能性です。遠く離れた粒子が、最初から「全体の一部」として振る舞っているのかもしれません。

次に、「実在論」についてです。もし実在論が成り立たないとすれば、私たちが観測するまで、粒子の特定の性質は確定していない、ということになります。例えば、電子のスピンは、観測されるまで「上向き」でも「下向き」でもなく、両方の可能性を重ね合わせた「重ね合わせの状態」にあり、観測によって初めてどちらかに「収縮」すると解釈されます。これは、私たちが「現実」と呼ぶものが、観測者の行為と密接に結びついている可能性を示唆しており、私たちの存在が宇宙の現実形成に何らかの役割を果たしているという、深く哲学的な問いを投げかけます。

哲学的な解釈の多様性

ベルの不等式の破れが古典的世界観の限界を示したことで、量子論の解釈を巡る議論はさらに深まりました。様々な解釈が、非局所性や実在論に対して異なる見解を示しています。

これらの解釈は、どれもベルの不等式の破れという実験事実と整合しますが、それぞれが異なる宇宙観や現実観を提示しています。私たちは、どの解釈が「真の現実」を記述しているのかを、まだ明確に知ることができません。

ベルの不等式が問い続けるもの

ベルの不等式の実験的検証は、単なる物理学の進歩を超え、私たちの「現実」に対する根本的な理解に挑戦しました。局所性と実在論という、私たちが長らく当たり前としてきた前提が、量子の世界では通用しないことが明らかになったのです。

これは、宇宙が私たちの直感とは全く異なる原理で動いている可能性を示唆しています。私たちは、宇宙が根源的に非局所的であるのか、あるいは観測されるまで実在が不確定であるのか、という根源的な問いと向き合い続けています。ベルの定理が提示した「不等式の破れ」は、科学と哲学が交錯する最も深遠な領域であり、これからも私たちの知的な探求を刺激し続けるでしょう。